【斜陽館】太宰治の津軽を巡る
ついにここへ来れました。
斜陽館
入館料は600円。(斜陽館のみ)
太宰治(本名:津島修治)が生まれて育った家です。
津島家は地元でもかなりの権力と財を持っていたので、この家も相当な大豪邸!
明治の時代にこの家はそりゃ「金木の殿様」と呼ばれて当然だろう。
ここに生まれた事が、太宰治の生き方において大きな影響をもたらしたと思う。
部屋の中は自由に写真撮影できましたが、蔵の中にある資料などは撮影禁止。
その蔵の中がどえらいことになってた。私にとっては。
太宰が実際に使っていた灰皿や財布などや、着ていた着物。そして直筆の原稿。
それを目にした時、私の足は震えて動けなくなった。ガラスケースの前で立ち尽くしていた。
今まではどこか歴史上の人物的な、遠い昔の人という印象を持っていた。
だけど、実在したんだ。生きていたんだ。この着物を着て、鉛筆を持ち、この原稿を書いていたのだ。全ての産毛から髪の毛までピリピリとか弱い刺激が全身を駆け巡った。
確かに生きていた。当たり前だけど、この事実を実感する事が出来てここに来れて本当に良かった。
直筆の原稿は「走ラヌ名馬」という作品のもの。文字が生き生きしていて、力強く、文字が命を宿したままそこにあった。
見学者はまばらで少なかったけど、ガラスケースに張り付く私をよそに、スーっと人が何人か通り過ぎていった。
何で皆釘付けにならないのか不思議だった。
ここまで思い入れを持って来る人は少ないのだろうか?
その蔵の中に私は30分以上はいた。
気が付いたらまばらな見学者もいなくなってた。名残惜しくてなかなか出られない。
家や部屋のことについては、沢山の人が説明してくれているのでもういいでしょう。
ここには私の主観のみ書きます。
この家で少年時代を過ごし、東京へ出るんだけど、芸妓を請け出したり、数回の自殺未遂などで実家から除籍され、長い間この家には帰る事が出来なかった。
実母を看取るため、十年振りに顔を出す事が許されこの家を訪れた。
どんな気持ちで帰ってきたんだろう。
故郷をどう想っていたんだろう。
故郷に送る言葉として、
「汝を愛し 汝を憎む」という言葉を残したけど、もっともっと心理を知りたい。
小説「津軽」の中で、兄たちや姪夫婦などと一緒の酒席に混じることになるけど、兄達は「さ、どうぞ、もうひとつ、いいえ、そちらさんこそどうぞ」などと上品にお互いゆずりあってる様を見て、
「外ヶ浜で荒っぽく飲んできた私には、まるで竜宮か何か別天地のようで、兄たちと私の生活の雰囲気の差異に今更のごとく愕然とし、緊張した」とある。
また「兄弟の間では、どの程度に礼儀を保ち、またどれくらい打ち解けて無遠慮にしたらいいものか、私にはまだよくわかっていない」と書いてある。
津島家という立派な家柄の中で自分の存在を客観視して溜息をついたかもしれない。
そんな想像をしながら家の中を見学した。
斜陽館に来れて良かった。
後ろ髪を引かれる思いでここを出た。
太宰治と津島修治の両方が混在した場所だった。