【太宰治思ひ出の蔵】太宰治の津軽を巡る
さて最後に訪れたのは
太宰治思ひ出の蔵
入館料200円です。
そこから五所川原駅を目指します。
切符を買おうとしたけど券売機が無い。
窓口で五所川原までと告げ、切符を駅員さんから買いました。
津軽鉄道では、有人駅が数える程度しかありません。
ちょうど「風鈴列車運転中」の時期だったようで、車内の天井に風鈴がずらっと吊るされてました。電車が揺れる度にリンリンと涼やかな音がしてた。
五所川原駅に到着。電車を降りる時に運転手さんに切符を渡すというシステムが新鮮!
いいね、こういうのいいよね。
五所川原駅から歩いて5分もかからないところに蔵はあります。
こんにちはーと声をかけて入館。
太宰は実母が病弱だったため、叔母のキエが面倒をみていたので、
しばらくキエのことを母だと思っていたそうです。
叔母とのこと、五所川原での太宰人間関係などが知れて良かったです。
この時も例に漏れず、見学者は私一人でした。
受付のお姉さんと二人っきり。
お姉さんが「太宰がお好きなんですか?」と声をかけてくださった。
そこからもう私の情熱が溢れ出し、止まらない。
お姉さんも私の暑苦しい情熱を受入れてくれました!(笑)
作品の中で津軽が一番好きだと伝えると、とっても驚かれて「何処が良いか教えてもらえませんか⁇」と食い気味に聞かれた。
何とお姉さんは太宰治検定で、津軽編の問題を作っているメンバーなんだって!
思わず握手してください!って言ったわよ。食い気味で。
だけどお姉さんは、津軽はあんまり面白いと思わないらしく、あくまでも教科書として読んでいただけだそう。津軽の魅力、面白いところを教えて下さい!と逆にお願いされるというシュールな展開に。
確かに小説「津軽」は単なる旅行記のような印象を持つかもしれないし、地元の人からしたら、そんなことないわよ大袈裟ねーみたいに思うところもあるのかもしれない。
私は小説というよりエッセイのようなものとして捉えて読んでました。
太宰が津軽人としての自分を取り戻す旅、アイデンティティを求める旅、愛し憎む故郷との対峙、それらを一緒に共有させてもらってる感覚がありました。
なるほどー!興味深いです。とお姉さんは深く頷きながら言っていました。
それからそれと話題は取り止めもなく、しまいには太宰とは関係ない世間話で盛り上がり、
「は!お帰りの時間大丈夫ですか!?」とお姉さんが我に返りました。
私も「えっと電車ってちょっと本数少ないんでしたっけ?」と間抜けな顔で質問。
「ちょっとどころではないです。少ないです!」とお姉さんは急いで時間を調べてくれました。
走れば間に合うー!
これを逃せば次は2時間後だ!やっベー!
「長々とすみませんでした!つい楽しくて」とお姉さんは謝ってくれましたが、
「いえいえ!私の方こそ楽し過ぎて時間を忘れてしまいました。旅の良い思い出になりました。ありがとうございます!」とお礼を言って駅まで走っていきました。
間に合ったー!良かったー!
電車でゆっくり弘前まで帰ります。
旅の締めくくりに相応しい、楽しい時間だった。だって太宰治について自分より詳しい人と交流出来るなんて今まで無かったから。
知らないこと沢山教えてもらって、また太宰への印象も変わった。
少し前の時代、お姉さんのお爺さん世代とかだと、太宰治と聞くと津軽の恥だと思っている人が多かったそうです。
生誕100年の時、地元がそれを盛り上げようと力を入れて、少しずつそういう意見もなくなってきたと。
今の小学生は、学校で「青森にはこんなすごい作家がいたんだよ」って教えてもらうそうで、若い子たちは太宰治については良い印象を持ってるみたいです。
今年は生誕111年。コロナのせいでいろんなイベントが中止になりました。
青森の人は、太宰治を誇ってほしい。
いまだに全国からファンがやってくるんだもの。海外からもファンが来るそうですよ。
お勧めだから行ってきて!と簡単に言えない距離にありますが、青森は、津軽はとっても良い場所でした。少しの滞在でしたが、それでも青森が好きになった。
津軽弁話せるようになりたい。
お姉さんの「んだ」が可愛かった。
自分の心が豊かになり、とても大きな収穫があった旅になりました。
勇気を出して良かった!
太宰治、津島修治という人間に少し近づけた気がする。