長澤知之 コーデュロイ
今日は長澤知之さんのこの曲が1日中脳内リピート再生されてました。
この曲は大袈裟ではなく未来に残したい名曲だと思う。
聴いたことがない方はぜひ聴いてもらいたい。
私の勝手な解釈ですが…
「またね」の無いさよなら。
もうこれで最後なんだ、本当の最後なんだと自分に言い聞かせている。
そして後悔の無いように、精一杯の想いを込めてハグをする。
そして後悔の無いように、精一杯の想いを込めてハグをする。
きっと完璧な別れなど無い。どれだけやっても「あぁ これも伝えたかったのに…」と。
それは、相手の存在が大きければ大きいほど、後悔はどうしても残る。
そんな自分の気持ちも受け入れたからこそ「もう全て伝えたよ」と言えるのだろうか。
それは、相手の存在が大きければ大きいほど、後悔はどうしても残る。
そんな自分の気持ちも受け入れたからこそ「もう全て伝えたよ」と言えるのだろうか。
「もしもまた会えたら…」と少しの期待を持つことさえも拒否をするのは、
期待が自分を苦しめることだと知っているから。
期待が自分を苦しめることだと知っているから。
独りを実感する明日が怖い。悲しくて辛いけど、全て終わったんだ。
ありがとうも伝えた。全て伝えたんだ。
ありがとうも伝えた。全て伝えたんだ。
曲を聴いていると、情景が浮かんでくる。浮かぶと言ってもそれは想像なのだけれど鮮明だ。
こんなにも切なく、苦しく、美しく、愛のある別れがあるだろうか。
こんなにも切なく、苦しく、美しく、愛のある別れがあるだろうか。
美化しているだけかもしれない。あくまでも想像だから。
でも、音楽を聴いていてこんなにも想像力を掻き立てられることは稀だ。
果てしなく悲しくて辛いのに、聴き終わると優しい気持ちになれるのは何故だろう。
涙も流れて、心も痛いのに不思議。
涙も流れて、心も痛いのに不思議。
自分なりに曲の世界を解釈してみたけど、こうゆうのって人それぞれだから
いろんな人のも聞いてみたいな。
私自身も、次に聴いた時はまた違った解釈になるかもしれない。
音楽は、聴く側のその時の気持ち次第で受け取り方が変わるもんだ。
音楽は、聴く側のその時の気持ち次第で受け取り方が変わるもんだ。
SSW14で、小山田壮平さんと谷口貴洋さんがこの曲をデュエットしてくれて(長澤くんは出演してなかった)
もう私は感動で号泣でした。恥ずかしい気持ちもあったけど、同じ長澤ファンのお友達と一緒に泣いて
良い思い出になったな~。
もう私は感動で号泣でした。恥ずかしい気持ちもあったけど、同じ長澤ファンのお友達と一緒に泣いて
良い思い出になったな~。
長澤くん本人に歌われたら、きっと涙腺崩壊、体は震え、脳はバグる(笑)
でもいつか生で聴いてみたいな。
でもいつか生で聴いてみたいな。