らんままの気まぐれ独り言

LUNASEA、長澤知之が大好きな女の独り言です。時々太宰治が登場。

自分の弱さと向き合う②

前回に続く話しです。
自分の気持ちの整理のためにも、
順を追って書こうと思います。
かなり詳しく書きますので、不快になるかもしれませんので、読むのを気をつけて下さい。

結婚3年目で待望の妊娠がわかりました。検査薬で陽性が出て、夫婦で泣いて喜びました。

病院に診察に行くも、子宮に姿が見えない。数字上は6週目。

医者に言われた通り、5日後に再度診察。でも見えない。妊娠反応は強いまま。子宮外妊娠の可能性を伝えられ、3日後に再度診察の予定。

次の日、仕事中に動けないほどの腹痛に襲われ倒れる。
救急車は大袈裟だと思い、職場の人にタクシーを呼んでもらって病院へ。

子宮外妊娠、決定。
個人病院だったため、大きい病院へ救急車で運ばれた。意識は朦朧としてた。

その時私の体の中では、子宮へと辿り着けなかった受精卵が卵管で着床し、そのまま成長。狭い卵管を破り腹腔内に大量出血していた。

大学病院へ着き、即手術。
連絡を受けて来た夫は何が何だかわからなかったようだ。

左側の卵管を摘出。出血は1500ccもあったと後で医者に聞いた。

開腹手術だったのと貧血が酷かったので23日間の入院となったが、回復して退院。

卵管は右側だけだけど、妊娠はできると励まされ、諦めなかった。

その2年後、妊娠。
でも喜べなかった。怖かった。
エコーで子宮にいることを確認するまでは喜べない。

次は手術を受けた大学病院に診察へ。
6週目…子宮にいない…。
3日後に再度診察。

いない…また卵管で止まってしまっている…。その日に即手術。
またしても卵管を摘出。

その時は出血は微量で痛みもそんなになかったから、余計に辛かった。
泣きながら手術台に上がった。

せっかく私の所へやって来てくれた赤ちゃんを取り出さなきゃいけないなんて。
着床した場所が違うかっただけなのに。

自分の運命を呪った。

両側の卵管が無くなったため、物理的に自然妊娠は不可能となった。
残された道は体外授精。

夫とも散々話し合った。
私は何が何でも欲しくて自分を見失って冷静さを失っていた。

夫はもういいと言った。
体外授精となると経済的にもキツイ。
私の体が心配だし、無理矢理作らなくてもいいじゃないかと。

私も冷静に考えて考え抜いた結果、これでいいと思うようになった。
子供は作るものじゃなくて、授かるもの。私はただ授からなかっただけなんだ。

不妊治療や体外授精などに反対、批判している訳ではありません。
その人達の気持ちは痛いほどわかります。あくまでも自分自身の答えです。

頭ではわかっていても、街ですれ違う妊婦さんや、できちゃった結婚した友人などに憎しみに似た感情があったこともあります。
何故私だけ?何故私はダメだったの?
そんな事ばかり考えていました。

だけど私だけじゃないんだよね。
いろんな人がいて、皆言わないだけで辛いものを抱えて生きてる。

妊婦さんや赤ちゃんに対しても普通に接する事が出来るようになった。

今は、自分は前世で子沢山の母ちゃんで、神様が今度は子供のいない人生を生きてごらんって言ったんだってことにしています(笑)

吹っ切れた振りをしても、時々傷口をえぐられることもあり、一進一退。
本当の強さとは何なんだろう。

今だにウジウジしてしまう自分が嫌だ。
早く乗り越えて自分の弱さとさよならしたい。

こうやって書くと気持ちの整理が出来てる気がする。
勿論、書ききれないほどの葛藤はあったし辛い事も沢山あった。
でも全て過去の事だから、前を見なくちゃ。これからの人生の事を考えなくちゃ。

これは書かない方がいいなと思ってたんだけど、久々に傷口えぐられる事があったから思い切って書いた。

ん~暗い気持ちになったりしてたら申し訳ないな。重いよ…ってなるよね。
まぁそんな人もいるんだな~ってぐらいに思っていただいていいですよ。

あくまでも私自身の気持ちの整理なもんで。
長くなっちゃったな~。