らんままの気まぐれ独り言

LUNASEA、長澤知之が大好きな女の独り言です。時々太宰治が登場。

9月4日

今日は父の命日。もう19年前になる。中学生の時だ。
過ぎてしまえば、あっという間の19年だったかもしれない。

少し葬儀の時の事とか具体的な話をするので、嫌な方は読まない方が良いと思います。
グロイとかではないですが(汗)


ずっと病院で寝泊りしていた母から、夜中に電話がかかってきて兄が出た。
すぐに病院に行くよと起こされたけど、その時は兄も私も弟も、
死を想像なんてしてなかった。きっと助かる。父が死ぬわけがない。
そう信じて疑わなかった。

だけど病院に着いた時、もう父が目を覚ますことはなかった。
まだ温かくて、穏やかな顔をしていた。
母が取り乱すように泣いていて、ようやく死を理解した。


葬儀の時、火葬された父の骨を箸で拾うという行為を私は断った。
「こんなのお父さんじゃない!」一体何に抗っていたのだろうか。
小学生の弟の手を握り締めて、必死に抵抗した。弟は静かに泣いていた。

兄に促され、結局小さい骨を一つ拾った。悔しかった。
父の肉体が消滅したことが悔しくて悲しい。

思えば、兄は一滴も涙を流さなかった。
社会人一年目で、会社の人に大変だねと声をかけられても気丈に振舞っていた。
でも私は知ってる。通夜、葬儀の二日間、ほぼ何も口にしていない事を。
二日間、一睡も出来ていないことを。
表面に出さないだけで、兄もまた強いダメージを受けていた。
涙の量と悲しみの量は、必ずしも比例しない。


当時はまだ、自分の事しか考えてなかったけど、
大人になってから、母の気持ちを思うと胸が痛かった。
まだまだ人生これからじゃないか。
子供がみんな自立したら、夫婦でのんびり旅行でもしようと話していたらしい。
夫婦喧嘩なんて見たことがない、仲の良い夫婦だったから、
愛する伴侶を失った悲しみは、計り知れないものだと思う。


私はまだまだ子供で未熟だったな。なかなか死を受け入れられなくて、
葬儀が終わった後も、家の押入れや物置などを隅々まで探して、
父が「見つかっちゃったか」と、かくれんぼでもしていたかのように
ひょっこり出てきてくれるんじゃないかと淡い期待をしていた。

納骨までの間、家にある骨壷を見ては「こんなのお父さんじゃない」と
目を背けてしまっていた。今思えば、父に悲しい思いをさせたんじゃないかと反省してる。


大切な人の死を受け入れるのは辛い。辛すぎる。
だけど、肝心なのは、死が終わりでは無いということ。

だって19年経った今でも、私や家族の中に父は生きている。
優しい笑顔も、親父ギャグも、色褪せることなく覚えている。

人は二回死ぬらしい。
一回目は、肉体が死ぬ時。二回目は人に忘れられた時。

父を二回死なせてはいけないと思った。



自分もいつか必ず死ぬ。それは絶対に避けられない。
その日はいつ訪れるかわからないけど、必ず来る。
だから、一日一日悔いの無いように過ごさないといけないな。

日々、ムカついたり、愚痴をこぼしたり、心から笑ったり、感動して泣いたり、
生きるってことは尊いなと思います。

出来れば死ぬ間際に「あ~楽しかった!良い人生だったな」と思えるように生きたいです。
そんな簡単にはいかないだろうけど(汗)


毎年、9月4日は人生について考える。