らんままの気まぐれ独り言

LUNASEA、長澤知之が大好きな女の独り言です。時々太宰治が登場。

まぁいいか


朝起きてから、夜眠るまで。
脳は忙しくアレコレ考えを止めない。

ちょっと休憩、ボーっとしよう。と思っても、数秒後にはもう思考は何かに占領されている。

何も考えたくないのに、「無」になることがどうしても出来ないのは、まだまだ修行が足りないのかな?
いや、出家したいと思ってるわけじゃないけど(汗)

楽しいことを考えようと思っても、しばらくするとまたズルズルと悩みの種に引きずられてしまう。
思考のほとんどが負の感情だ。


太宰治の「ヴィヨンの妻」の中の一文。

「人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。」

この言葉が浮かんだ。

たった半日でも、何の不安も恐れもない、平穏がある人。
それは幸せな人だ。

そうじゃない人が全員不幸だという意味じゃないですよ。
人間は、誰しも悩み苦しんでいるものだ。
悩みの無い人間なんていないだろうし、そうだという人がいたら胡散臭いとさえ思う。

ほんの一時でも、完全なる平穏、安心が訪れた時に、人は幸福を感じるのかな。
それを追い求めて、頑張って生きているのかもしれない。

生きるって並大抵じゃない。
辛いこともたくさんあるし、歯を食いしばって踏ん張って耐えなきゃいけないことがある。

だけど生きてるって素晴らしいなと思うよ。
死んだら終わり。
せっかく生まれてきたんだもん。死ぬまで生きたい。

テレビで誰かが言ってたな。誰だっけな。
「生まれた意味を考えるよりも、死なない工夫を考える」

なるほどと思った。
生まれた意味なんて考えても答えは出ない。
「無」から「有」に変化する過程は説明が難しい。

だったら、なるべく長く生きられるように死なない工夫を考える方が有意義だ。
事故や病気で避けられない時もあるだろうけど、一日でも長く生きたい。


悩みの中にいようと思えばいくらでもいられる。
そこから抜け出すのも浸るのも、自分次第ですよね。
わかっているんですけどね。

解決を急がなくてもいい気がしてきた。そもそもどこが解決したと思える地点かわからない。
自分が楽になれる方へ、自分が楽しいと思える方へ、ちょっとずつでも進行方向を変えていこう。

私は頑張り過ぎる癖がある。耐え過ぎる癖がある。
もっともっと、自分が頑張れば、自分が我慢すれば…。愚かな行為だ。

もっと楽しく生きていきたいな。頑張るところを間違えてた。
平穏を手に入れるために、力を抜くことを覚えていこう。

まぁいいか~。と一旦荷物を降ろして休憩しましょう。