らんままの気まぐれ独り言

LUNASEA、長澤知之が大好きな女の独り言です。時々太宰治が登場。

太宰治 桜桃

太宰治の小説から。

作中でも説明していますが、これは夫婦喧嘩の話。


夫は気まずい事に耐え切れない性格で、絶えず冗談を言う。
夫婦は労わり合い、尊敬し合い、乱暴な口争いをした事も無い。
子供を可愛がり、子供達も父母になついている。

しかしこれは外見で、妻は胸中で涙を流し、夫は煩わしさで寝汗がひどい。
お互いに相手の苦痛を知っているのに、それに触れないように努めて、
夫が冗談を言えば妻も笑う。

口汚く罵り合ったりすることもないおとなしい夫婦であるが、
しかしそれだけまた一触即発の危険性を持ち合わせている。

妻のある一言が導火線になり、夫はひがむ。
しかし言い争いを好まないこの夫婦は、表面上は冷静を装いながら相手の腹を探る。


その部分を引用します。

両方が無言で、相手の悪さの証拠固めをしているような危険、
一枚の札をちらと見ては伏せ、また一枚ちらと見ては伏せ、
いつか、出し抜けに、さあ出来ましたと札をそろえて眼前にひろげられるような危険、
それが夫婦を互いに遠慮深くさせていたと言って言えないところが無いでも無かった


この形容が面白いなぁ。わかる気がしないでもない(笑)
争いを恐れるあまり、核心に触れることをためらうが、
ぶつかって争った方が本当は良いのだろう。


夫は妻をこう表現する。


無口なほうである。しかし、言うことにいつもつめたい自信を持っていた。



さて、夫はその場の空気に耐え切れず、そおっと家を出て行きます。

飲み屋に着き、酒を飲み、出された桜桃を極めてまずそうに食べる。
(当時は贅沢な食べ物だったようだ)

「子供より親が大事」この言葉が頻繁に出てきます。
どういう意味で言ったのだろうか。

作中では、親の方が弱いと表現していた。


この親は、その家庭において、常に子供たちのご機嫌ばかり伺い、子は親を圧倒し掛けている。
父と母は、さながら子供たちの下男下女の趣きを呈しているのである。


また


泣いているのはお前だけでない。おれだって、お前に負けず、子供の事は考えている。
自分の家庭は大事だと思っている。子供が夜中にへんな咳せき一つしても、きっと眼めがさめて
たまらない気持になる。もう少し、ましな家に引越してお前や子供たちをよろこばせてあげたくて
ならぬが、しかし、おれには、どうしてもそこまで手が廻まわらないのだ。
これでもう、精一ぱいなのだ。


とも言っています。


う~ん。親が子の心配をするのは当たり前だし、それを苦しいと言われてもどうなんだろうか。

「子供よりも親が大事と思いたい。子供よりもその親の方が弱いのだ。」

自分にそう言い聞かせることで自分を保ってたんじゃないかな。



私の家では子供たちにぜいたくなものを食べさせない。
子供たちは、桜桃など見た事も無いかもしれない。
食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。
蔓つるを糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。


子供よりも親が大事と、自分を守るため思い込もうとするが、
桜桃を前にして子供を思う太宰の姿があった。


長女7歳。長男4歳。次女1歳。
長男は言葉が話せず、歩けず、成長の遅れがあった。


家族を守りたいと思っているのに守りきれない自分への苛立ち。

この夫婦は、二人で子供を抱きしめることはなく、各々個人で抱いていた。
各々が悩み、煩い、本音をしまいこんでいた。

夫婦とは何だろうか。
一度読んだだけではわからなくて、何度も何度も読んでは意図を探る。


「子供よりも親が大事」文字だけ読めばひどい親だと思う。
けどそれに隠された思い、生きる辛さを物語っている。


作中に印象的な一文がある。


生きるという事はたいへんな事だ。
あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す


その通りだ。と思うことがあった。
なぜこんなに窮屈なんだと。


きっと彼の小説を好まない人は沢山いるだろうし、それは仕方ない。
けど、人間の人間臭さと言うか、良くも悪くも、ありのままの人間を書いていると思う。

自分の弱さや恥や悪いところを包み隠さず表現する。
だから共感を得るんだと思うなぁ。